『 荒野の火の付いた柴(雑草)となる 』 6/24

(定例祈り会より③)

◆神のしもべたちは、激しい戦いの現場にあっても勝つことができるように整えられる必要があります。あらゆる状況に備える姿勢を持ってこの世を生きなければなりません。神は職場と現場(日常生活)にあって誠実であり、力にあふれている信仰者たちを求めておられます。


◆特に、神に用いられるリーダーは生まれた時からリーダーなのではなく、多くの過程をとおして作られるものです。これはモーセの経歴からもわかります。神の恵みの中で選ばれた人は、神に用いられるものへと変えられるのです。


◆神は40年間の荒野における訓練(試み)をとおして、「温室のモーセ」を「荒野の雑草のようなモーセ」に変えられました。神のしもべ(特にリーダー)は「戦いのない平安」ではなく「戦いにあって勝利できる強さ」が必要です。


◆そのためには、神の働きをしようとする人は、神と出会わなければなりません。モーセは、ホレブ山(シナイ山)において柴の火の中で神に出会いました。柴は、火がついていましたが、燃焼していませんでした。この柴(雑草)は、モーセの姿を象徴したものでした。神がともにおられるなら、その人は、火のついた柴になります。神が共におられる柴(雑草)は、火はついても燃え尽きません。その情熱が枯渇することはありません。


◆聖霊の助けがないままに働くなら、私たちは枯れてしまいます。しかし、聖霊の火がついた柴(雑草)となるならば、モーセのごとく、力強い人となることでしょう。

「働き人を壊すのは働き過ぎではなく、聖霊なしで働くことだ」

                          D.L.ムーディ