今週の一面 『再会の希望に生きる 』 9/22

◆私が牧師になって最初に司式をした葬儀は、父でした。82才の父が肺癌のためすっかり痩せ細っていた身体から、しぼり出すように、「イエス様を信じる。葬儀はお前がキリスト教でやってくれ」との遺言で行うことができました。


◆それから30年、多くの葬儀をつかさどりました。その大半は、その方の生涯を知っている人、信者(教会員)やその家族という関係の方でしたので、「ああ、この方も、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通されたのだ」という思いをもって、天へお送りする実感をもちつつ司式をさせていただきました。


◆墓に葬るとき「故人の体はこれでまったく私たちの眼からは隠れますが、その霊はすでに天に、父なる神様のもとに帰られて、憩いの中にあるのです」と、本気で告げることができるのは、考えてみればすばらしいことだと、そのたびに思うのです。


◆外国へ旅立つ家族を空港で見送る時、その家族を乗せた飛行機がやがて飛び立って、上空高く、あるいは雲の中に、あるいは青空の奥に消えて行きます。]


◆何時間かあとには旅立った人ははるかかなたの外国へ着き、むこうでの生活が始まります。遠く離れていても心は結ばれていて、再会の日を望み待ちます。そのように、天へ旅立った人を送り、やがての再会の希望を確信できるような「永遠」を心にはっきりといただいた生き方をしたいものです。