今週の一面『~教会の調和⑤~』12/4

      お互いの信仰と性格の調和


◆ 「人間性」とは、その人が生まれつき持っているものに、時代、環境、教育等の影響によって形成されたものが加えられた性質です。それは「十人十色」と言うように、実に多様です。「霊性」とは、イエス・キリストを信じる信仰が人間性に影響を与え、生き方や考え方、価値観等に変化が生じた性質です(ヨハネ1:13参照)。信仰によって人間性が失われるものではありませんが、人間性と共にあった罪が赦されることによって、性格にも霊性の実が結ぶようになるのです。しかし、信仰と性格の調和がすぐにとれるとは限りません。例えば、集会や奉仕に熱心であっても信仰の知識は増し、クリスチャンとして生きていても自信過剰であり、良識を欠いているというようなことがあります。反対に、温かい性格で人にも親切であり、きわめて常識人であるのに、教会のこととなると「神第一」とは言えない生活ということもあるのです。これらは信仰と性格の調和の問題です。


◆ 教会内に何らかの摩擦が生じ、調和がとれないとすれば、それはお互いの「人間性」から来るものではないでしょうか。異なる人間性同士がぶつかり合うことで調和が難しくなるのです。

 教会が一人一人の人間性の相違を超えて調和するためには、一人一人の「霊性」が高められて、教会が霊的な存在となり、神の憐れみと共に、お互いの忍耐や犠牲がなくてはなりません。この霊的な部分を失っては、教会は存在することができません。


◆ 「主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ」(エフェソ4:5)とあるように、どこまでも信仰は一つです。教会には、お互いが、聖書が示している「一つの信仰」を確信しながら、人間性の違いを乗り越え、互いに認め合い、赦し合うことによって、「霊による一致」(エフェソ4:3)という調和が与えられます。そのためには、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ち、愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊によって一致を保つように努める」(エフェソ4:2,3)歩みが必要です。

松﨑 準