~オリーブの香り~ No 264

「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(新改訳:レビ記19:32)


九州出身の同級生や同窓生が集まると、必ず話題になるのが、自身の健康と親の介護、それも九州の郷里で離れて暮らす親の介護のこと。また仕事柄、いろんなケースを見聞きし、相談が舞い込むこともある。


首都圏に暮らす60代の女性Aさん。84歳になる母は、九州の郷里で弟の一家と同居している。母は認知症。

その母が転倒から骨折し、入院。2カ月近くたつと認知症の症状が進んだのか、「早く家に帰せ」と病院の中で杖を振り回して暴れているらしい。弟はその対応で疲れ果て、自身も病いがあることもあって、退院しても母と今まで通り家で暮らすことは無理なのではと施設に入れたいと考えている。

とりあえず、九州の病院に駆けつけ、母を見舞うと自分の娘と認識できず、口をへの字に結び、ぼーっとしてテレビを見ている姿があった。ところが、リハビリ担当のTさんが通りかかると、笑顔で手をふるではないか。

その時、<Tさんは、母と接する時はいつでも、必ず床にしゃがんで、目を合わせ、笑顔でゆっくりと話すこと>を思い出し、「はっ!」と気づいたことがあると、Aさんは言う。


認知症の人は、わからないのではなくて、人一倍、人の気持ちの動きや感情、そしてやさしさや怒りに敏感なのではないかと。

また、「母が認知症になった!」「私のことを娘と分からなくなった!」「困ったものだ!」というけれど、「認知症になった」という状況の前で、そのことを受け入れられず、混乱して、困っているのは実は自分なのだと。


84歳の母は、敗戦の年に12歳。普通だったら10代の光輝いているはずのときに、敗戦後の混乱の中で、生きていくだけで精いっぱいだった。食べることに必死だった。結婚して子どもが生まれ、日本が復興していくのと合わせるように、必死に働き、子どもを育て、無我夢中で生活してきた。それはそれは、悩み、苦しむことも沢山あっただろう。

今こうして、いろんなものを忘れたり、わからなくなっても、或いは周りからは自分の世界だけに入りこんでいるように見えても、本当に必要なものだけを見つめて、他人にとっては迷惑でも本人にとって不要なものを捨てて、何が悪いのか! ゆっくりと自分とむきあっているのかもしれない、神様とお話ししているのかもしれないではないか。

改めるべきは、自分なのだと。


聖書は、人の最初から最後までを心から大切にされている神の姿と言葉を伝えている。

「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(新改訳:イザヤ書46:3-4)


By 父ちゃん