今週の風景 No.495

アドベント四週目。

ルカの福音書から受胎告知

『神にできないことは何一つない』

にたいするマリアの信仰応答がクライマックスの箇所でした。




来週はいよいよクリスマス礼拝。

二人の姉妹のバプテスマ式があります。

クリスマスのバプテスマ式は、きっと素敵な記念日になるでしょうね!


自分がバプテスマを受けたのは小学校2年生の夏(7/24)で一つ上の兄と教会学校の友人と3人一緒でした。

両親がクリスチャンだったことから母のお腹の中にいるときから礼拝に通っていたわけで、幼稚園も教会付属(当時は広島に住んでいて広島教会までバスで30分ほどかけて通園していた)だったこともあり、蟻を「アリ」と呼ぶことを教わるのと同じように神様の存在を当たり前のように教わり信じていたと思われます。

通っていた教会のバプテストリー(バプテスマ式を行うための大型水槽設備)は屋外の庭の中にあったため、バプテスマを受けるなら暑い夏に!と心に決めていたのを覚えています。


バプテスマを受けると、全てが変えられて守られて何もかもがうまくいって人生がキラキラで最高!

になる訳ではありません。

むしろ神様は私たちを精錬して強くするために課題を与えられます。


私はバプテスマを受けた年の秋に急性腎炎にかかり半年入院しました。

しかもその入院中に兄は冬休みの工作中にカッターで左手を切ってしまう大怪我をし(親指の腱を切断してしまい20針ほど縫う大怪我)、断続的な揺さぶりを我が家に与えました。

バプテスマを受けた(つまり信仰を持った)私たちはこれらを「試練」と呼びます。


信仰を持たない人は、身のまわりに起こる、おおよそ歓迎できない事象を「問題」や「事故」、「トラブル」とネガティブ表現します。

しかし信仰を持った人は「試練」(自分を強く精錬するために神様が与えてくれたテーマ)としてポジティブに表現し受け止めます。

なぜなら、神様は試練と共に解決方法も与えてくれる(聖書では「逃れの道」と表現しています)ことを信じているからです。


新約聖書 コリントの信徒への手紙一 10章13節 

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。 」


信仰を持つことは最大の護身術だと思ってます。

今までにも信仰を持っていなかったらとても乗り越えなかっただろう大事件多数(管理人は学生時代とてもやんちゃでした)

仕事でくたびれても、人間関係でくたびれてもいいんです。


私たちの罪の身代わりとして十字架にかかる運命のもとこの世に生まれ、十字架にかかって死に、そして三日後に甦られ、今も生きて私達を守ってくださる。

これを信じるだけです。


『神にできないことは何一つない』