平和

ロシアによるウクライナへの侵攻が始まって4年以上になります。世の人々の関心が少しずつ薄れていく中で、今も戦闘は続いていることに心が痛みます。その戦火の中、ウクライナのキリスト者たちが集まって礼拝をしている様子が映し出されていました。防空壕として使われている地下鉄の駅に礼拝者が集まって、共に賛美歌を歌っていたのです。爆撃によって家族を失った悲しみを抱え、また自分自身も絶えず死の恐怖にさらされている中で、彼らは何を思って礼拝しているのだろうと思いました。信仰を持たない人から見たら「こんな非常時に礼拝なんかしている場合か!」と思える中にも、神様はいつも礼拝を興されていることを改めて思いました。

第二次世界大戦のさ中、戦場と化した沖縄で、次々に教会堂が壊され、次々と牧師や信徒が徴兵されたり迫害される中にも、主は礼拝を興し、人々を礼拝に招かれました。礼拝堂は焼失したけれど、クリスチャンたちはガマと呼ばれる洞窟に身を寄せて礼拝をし、牧師はいない中でも、信徒が聖書の言葉を語り合いました。そこでの礼拝のさ中に殺された命もある中でも、復活のイエス様の希望を語り合い祈り合っていました。

今、世界の平和が脅かされています。国と国、民族と民族、そして隣人同士でさえ争いが絶えません。「平和のために戦争をする」というおかしな論理をおかしいと思わない価値観が後を絶ちません。「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイによる福音書5章9節) とイエス様は言われました。また聖書は「キリストはわたしたちの平和」(エフェソの信徒への手紙2章14節) と言います。十字架によって敵意を滅ぼされた主イエスだけが平和の君なのです。この方を見上げ、主の平和が私たちの心に広がるように、共に祈り、礼拝しましょう。