今年もゴールデンウィークが終わり、また仕事に追われる日々が始まる。楽しい仕事であればよいけれど、なかなかそうもいかない。目標が設定されて成果を求められ、それに追い立てられていく。さらには、空気を読み、言葉を選び、相手に気を遣うことも少なくない。体にも心にも疲労がたまり、知らず知らずにそれが当たり前のようになっていく。全く普通に生きていくことが疲れる世の中だ。
聖書は、そのような私たちを、神さまが憩いのみぎわへ導いてくださっていると語る。その憩いのみぎわで、疲れ切った私たちから鎧を取りさってくださり、ゆっくりと休ませてくださる神さま。飾らないありのままの姿を受け入れてくださる神さま。そして、思いもよらない喜びや希望を用意してくださっている神さま。
しかし困ったことに、その憩いのみぎわに行くのを妨げている最大の障害は、他でもないこの自分自身かもしれない。目標達成のため忙殺される自分。自己の身を守るため右往左往する自分。自己実現のためにもがく自分。数え上げたらきりがなさそう。そういう自分中心の姿に全く気づかず、神さまを脇に追いやって自分の力で何とかしようと頑張ることはありがちだ。さらにやっかいなことには、これは神さまの御心なんだなどと勘違いして傲慢になっているときすらあるかもしれない。
そうした中で、いらいらした時や疲れ果てた時には、自分の世界で頑張るのはやめにして、一旦立ち止まりたい。そして、イエス様が「休ませてあげよう」と語りかけてくださっていることを思い出し、もう一度神さまの前にへりくだって、憩いのみぎわを思い出したい。ただ果たして、その神さまに自分を一体どこまでお任せすることができるのだろう? そういう勇気も与えてくださり、憩いのみぎわへの招きに応えられるように、祈り続けていきたい。
”主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。”
旧約聖書 詩編23編2~3節
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