2026年3月29日 礼拝メッセージ概要
聖書箇所: マタイによる福音書27章32~56節
牧師 山中臨在
十字架上のイエス様に、人々は「他人を救ったように自分を救ったら信じてやる」とあざ笑いました。イエス様は、その声に応えることなく十字架に留まり、「わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大きな声で叫びました。神様に見捨てられるという苦しみを担われたのです。この姿は敗北者のように見えるかもしれませんが、実はここにこそ救いの本質があります。
聖書が語る救いとは、私たちの罪が赦され、罪によって断たれた神様との関係が本来あるべき姿へと回復されることです。そのためには、罪の代価が支払われなければなりませんでした。罪のないお方であるイエス様だけが、私たちに代わってその代価を負うことができたのです。救い主が救い主であるために、イエス様は私たちの代わりに死なれ、神様から見捨てられました。私たちが神様から見捨てられないためです。イエス様が十字架から降りなかったからこそ、私たちに救いが与えられました。この愛は、私たちの理解をはるかに超える深いものです。
人生の中で孤独や苦しみの中、「自分は神様から見捨てられているのではないか」と感じる時があるかもしれません。しかしその時こそ、十字架のイエス様を思い起こしたいのです。救い主が私たちに代わって見捨てられたゆえに、私たちは決して見捨てられません。この約束を信じて歩む人生へと、神様は私たち一人ひとりを招いておられます。
