「足を洗う」

2026年3月22日 礼拝メッセージ概要
聖書箇所: ヨハネによる福音書13章1~15節
牧師 山中臨在

今日のみ言葉は、ヨハネによる福音書13章に記された主イエスが弟子たちの足を洗われた場面から与えられました。主は十字架を前にした最後の晩餐の席で、あえて上着を脱ぎ、奴隷のする働きであった足洗いを行われました。上着を脱ぐ、とは(自分を)捨てる、という意味なのです。それは、「仕えられるためではなく仕えるために来た」というご自身の言葉を、身をもって示された出来事です。

当時、師匠が弟子の足を洗うなど考えられないことでした。しかし主は、ご自分を裏切り、やがて見捨てていく弟子たちの足をも洗われました。そこに、まことの愛の姿が示されています。主はご自身の思いや感情を捨て、へりくだり、最も低いところに立たれました。愛とは、ただ理想として語られるものではなく、このように具体的な行いとして示されるものなのです。

私たちもまた、「愛しなさい」「互いに仕えなさい」と命じられています。それは不可能な理想ではなく、主ご自身が模範を示してくださったゆえに、私たちが従うべき道です。理解する、という意味のUnderstand という英語は、「下に (under) 立つ (stand) 」と綴ります。人を理解するとは、その人の下に立つことです。高くなろうとするのではなく、低くなってこそ、相手を支え、愛することができるのです。

さらに主は、「互いに足を洗い合いなさい」と言われました。それは、他者の足を洗うだけでなく、自分の足を他者に洗ってもらうことを意味します。私たちは弱さや欠けを隠そうとしますが、神の前にはすべて知られています。だからこそ、弱さをさらけ出し、祈り合い、支え合う交わりへと招かれているのです。

教会はキリストの体であり、互いに結び合わされた共同体です。時に理解できない相手や受け入れ難い存在があったとしても、自分の思いや誇りを脱ぎ捨て、へりくだって仕え合うとき、そこにキリストの愛があらわされます。主が私たちの足を洗ってくださった恵みに応えて、私たちもまた具体的な愛の実践へと歩んでまいりましょう。