「ここに逃げれば安心」

2026年3月1日 礼拝メッセージ概要
聖書箇所: ヨシュア記 20章1~9節
牧師 山中臨在

今日のメッセージでは、逃れの町の記事から神様の救いのご計画を学びました。神様はイスラエルの民に嗣業の地を与えられ、さらに六つの「逃れの町」を定められました。それは、故意ではなく人を死なせてしまった者が復讐から守られ、正しい裁きを受けるための場所でした。そこは「ここに逃げれば安心」と言える、神様のそなえられた守りの砦でした。

一見、現代の私たちとは無関係に思える箇所ですが、聖書は今を生きる私たちへの生きたメッセージです。私たちもまた、言葉や態度によって人の命を傷つけ、知らず知らずのうちに罪を犯しています。聖書は「罪の報酬は死である」と語ります。罪は放置できず、解決が必要です。

そこで示されるのが、まことの逃れの町であるイエス・キリストです。旧約時代、逃れの町に身を寄せた者は、その時の大祭司の死によって自由を得ました。これは、まことの大祭司であるイエス・キリストが十字架で命をささげ、私たちの罪を完全に贖ってくださったことを指し示しています。主こそが、私たちの救いと解放の道です。

メッセージでは、長年信仰に歩んできた一人の高齢の夫の証しも紹介されました。愛する妻の介護の中で疲れ果て、「妻が死ねば介護から解放される」と思ってしまった自分を責め、苦しみました。しかしその罪を主のもとに持ち出したとき、「自分で自分を赦そうとしなくてよい。ただわたしのもとに逃げ込みなさい」との恵みにあずかり、救いを体験されたのです。

自分の力で罪責感を克服しようと努力するのではなく、ただ主のもとに逃げ込むとき、そこに本当の解放と平安があります。主は「重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい」と招いておられます。逃れの町がすべての人に開かれていたように、キリストの救いもまた、すべての人に開かれています。そして教会も、その救いを指し示す場として世に遣わされています。私たち自身が主の恵みに生かされるとともに、隣人に「ここに逃げれば安心」と伝える者とされたいと願わされます。