2024年9月8日 巻頭言『やがて天にて』

◆私の父は6年前の9月に、87歳で召天しました。2年半の闘病を経て、主の許に召されました。父が危篤になったという連絡が来て、母と共にすぐ病室にかけつけた時、父は既に意識はなく、荒い呼吸をしていました。私たちがみことばを読み、賛美歌を歌う中で、父は召されていきました。父が息を引き取るのを目の前で見た母と私は、父が天に凱旋したことをはっきりと感じ、不謹慎なようですが、喜びにも似た平安を、二人とも感じました。

◆新生讃美歌601「やがて天にて」は、1898年に、エリーザ・E・ヒューイットという女性が作詞しました。教師をしていたヒューイットはある日背骨に怪我を負い、長い闘病生活を余儀なくされ、ある程度の回復はしたものの、彼女は生涯その痛みと共に歩みました。しかしどんな時も彼女には、天国の希望がありました。

わたしの父の家には住むところがたくさんある・・・あなたがたのための場所が用意される・・・」(ヨハネによる福音書14:21)の御言葉がいつも彼女を支え、彼女はこのことを多くの友に、特に教会学校の子どもたちに伝えたいと思っていました。ヒューイットが作った詞に心を動かされた友人のエミリー・D・ウイルソンは、天国の門に向かう行進曲をイメージして、躍動感のあるメロディーを作曲しました。

◆既に召天された方々は、主の許で、痛みや苦しみや涙から解放され、希望と喜びにあふれていることを思い主の御名をたたえずにはいられません。父が召された時、そのことを実感した母と私は、父のために「告別式」をするのではなく、天国への壮行会をするように導かれました。そこには神の小羊、主イエス・キリストの婚宴が賛美の大合唱の中で行われているのです。父の葬送式でも、ご出席くださった皆様と共に喜びの賛美をささげました。

わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。」(ヨハネの黙示録19:7)

山中臨在