◆アメリカにいた時、教会音楽の関連でたびたび訪れていたある教会に、70歳以上の方だけが入れるシニア聖歌隊がありました。高齢者ばかりですがその練習は結構きびしく、音取りができるまで何度も何度も繰り返して練習させられます。また、年に1~2回、この聖歌隊の伝道旅行があるのですが、広いアメリカの伝道旅行は、飛行機であれバスであれ、その移動は長時間にわたり、体力を消耗します。まさに命がけで彼らはこの聖歌隊で歌っているのです。これまで社会でがむしゃらに働いてきたのだから、余生はのんびり静かに暮らしたいという人も多いと思いますが、「とんでもない。やっとこれからが私たちの出番だよ。神様のために歌えるのは最高!」と言う彼らの顔はキラキラと輝いていました。
◆ヨシュアが老人となった時、神様は「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」(ヨシュア記13:1)と言いました。高齢になったヨシュアに神様が与えてくださる使命がまだたくさんあったのです。年をとって気力も体力も落ちてきたかもしれないし、長い人生の中で悲しみも苦しみも多く味わってきたかもしれないけれど、そんなあなたにしかできない役割を神様が与えてくださるという恵みを私たちはいただいています。聖書はまた、「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」(Ⅱペトロの手紙3:18)と語ります。イエス様の恵みをいただいているのだから、御言葉に聞き続け、成長しつづけなさい、と主はおっしゃるのです。
◆キリスト者は、70歳になっても、80歳になっても、90歳になっても主に向かって成長する恵みを与えられています。高齢者として輝く恵みをいただいています。それを考えると、年をとることは「恵老」なのだと私は思わされています。
山中臨在