教会には神の家族がたくさん。そして、私には家にも肉の家族が与えられています。
でも、神様はときどき私を一人にしてしまって、神様と1対1にならざるを得ない状況をおつくりになります。その多くがとってもつらい時間なのです。
昨日も今日も、そんな時間がありました。具体的な原因はささいなこと。本当はその裏にあるふくれあがっていた自分の罪がたまたまそれが原因で爆発した(させられた?)んだと思います。
そんな時いつも思わされるのは、自分の傲慢さです。
「私は自分が正しい」と、いつも思ってしまう悪い癖があります。でも、世的に正しいことと神様の目にかなうことは違うのです。神様は愛のお方なのです。
これについて、神様は、私が降伏するまで、繰り返し私の前に課題として出し続けられます。簡単には解決できないなかなかの難問。だからこそ、私も真剣に1対1になって求め、悔い改めます。
神様は、課題をそのまま放っておかれる方ではありません。うやむやにしないのと同時に、見守っていて下さる方です。その御腕の中で、きっと励まして下さっていると信じます。
“あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
そして、イエスは女に「あなたの罪は赦された」と言われた。”
新約聖書「ルカによる福音書 7章46~47節」
RKTKHS